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執筆者の写真出口朝子

言葉からのつづき


偶然同じ時期に前のふたつの言葉に出会い、同じくらいの熱量で惹かれたので無謀にも同じところに並べてみた。どちらも本当にそうだと思ったのだけれど、悲しいことに「うーーーむ、、、と思った。」としか言葉では表現できなくて、だいぶ物足りないので何か描いてみたりする。


ふと数年前の自分の書いたものを読むと「先に言葉があると描きにくい」という様なことが書いてあった。「言葉が抽象的だと描きやすく、具象的だと描きにくい」と言い換えられそうな気がする。

心が動く出来事があった時に、人によっては誰かに話す、文字で書き留める、涙を流す、料理を作る、もしくは踊る、歌う、等色々表現方法があると思うけれど、私の場合は描く、が結構上位に来ている。そういえば良いのか悪いのか嬉しい事より心が痛む事があった時は描く集中力がいつもより増す感覚がある。

言葉は意味が通じないとただの音の連なりになるのでだいぶ整理整頓されたものが言葉になり、整理整頓する前のより生ものっぽいものが絵になる、という感じか。

描くことは和紙の肌理や鉛筆の乾いた線、墨や膠や岩絵具の質感が、気持ち良く助けてくれる面もあり、良い意味で言葉の場合と違うフィルターがかかる。と書きながら何でもそうだなぁと思い、結構しつこく同じような事を考えるのが好きなことに気づく。



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