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  • 執筆者の写真出口朝子

詩になる言葉

谷川俊太郎さんが本の対談で詩になる言葉について述べられたことが興味深かった。


“詩として成立する言葉と成立しない言葉があり、詩にならない言葉というのは「うるさい」。「わたしが、わたしが」と言い立てる詩は、どんなに切実であっても、うるさい。逆に、言葉が詩人の「わたし」から離れて、自立している言葉というのは、言葉自身が静かで響きが良い。”


気のせいかもしれないけれどとても分かる気がする。絵を描いていても自分の気持ちがあまり関係ない感じがすることと関係がありそうで。描いた後でどういう気持ちで描いたんだろうという事もよくある。なので、何年か前までは自分のした事なのにどこか他人事みたいなので、何となく空っぽな自分になるようで怖い、とかその描いてる時間を別の事に使ったほうがいいんじゃないかと思った事もあった。けれど、気持ち、とかその気分、とかそういうところとは別の場所のスイッチが入ると、別次元の嬉しさに出会うので、やめられなくなってしまった。多分アスリートのゾーンであったり、心理学のフロー状態と呼ばれているものに近いのかなと思うけれど、やっぱり詩人が選ぶ言葉は心にすっと入ってくる。


そういえば以前個展の時に観てくれた方が「この絵は詩ですか?」と言われたことがあった。詩について考えて描いていなかったのでその時は「うーん…分かりません」と答えたけれど次は「多分近いです」と言おうかなと思う。


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