坂本の西教寺境内の山中で見た古い五輪塔は丸い部分の直径が50cm位はある様な立派なもので何ともいい風情のものだった。その五輪塔を見るまではただの墓石、供養塔というイメージしかなかったので少し調べてみると、平安時代初期頃に作られ始め、かたちの意味は仏教の五大要素「地水火風空」であり、大日如来の抽象化されたものでもあるとか。何とも凄い。五輪塔を大日如来だと言い切るその感覚にかなり驚く。大日如来といえば人の形をした仏像や仏画も多数あるのに昔の人にはどういう風に受け取れられたんだろうと想像してみる。こんな単純な丸と四角はあの立派な大日如来じゃないと怒る人はいなかったのか、それとも立派な僧侶が「これは大日如来です」とおっしゃるのだから形の事はさておきありがたい、と自分に言い聞かせて納得していたのだろうかとか。。。
抽象から具象ではなく具象から抽象に向かうというところが何なのかがやはり気になるところらしい。人間にはそれを求めるところが元々備わっているのだろう、と強引なまとめをしつつ、そう思って古くからあるものを改めて見てみるとあえて抽象化されたものだらけなことに今更気付く。あれもかこれもかと少し疲れそうになり、部屋の壁に貼ってある雑誌の切り抜きを見てとりあえずほっとする。
これは殆ど抽象寄りの具象か。
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